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2012/09/22

ストリップの作品

新しい記憶が日々積もっていき、過去の記憶は奥深いところへ押しやられる。

しかし遠い過去のことも思い出せるものだ。
覚えているものだ。記憶はきっかけがあれば去来する。

記憶が引き出される時の心持ちが好きだ。
過去マニアなんだと思う。同窓会とか好きだし。

忘れているということは証明できない。
記憶はあることは示すことができるが、ないことは示せない。と強く思っている。

昔に書いたブログ記事を読み返した。
2011年のストリップ観劇遠征の記録。
記録しておいてよかった。忘れそうだったけど思い出すことができた。

私にとって特別の踊り子さんだった詩田笑子さんの特別な作品「梅と鶯」の
鑑賞機会は思ったとおり2011年の5月が最後となった。
今では断片しか思い出せない。でも覚えている。

音楽や絵画だと作者がいなくなっても、作品は残る。
ストリップでは作者と作品の境界があいまいだ。切り離せない。
(ただの違いであって、どちらが上か下かということではない。)

だから、基本的にストリップでは踊り子さんが引退した瞬間に作品はこの世から消え失せる。
作品が記録されることは実に稀なことだ。



だから、踊り子さんの引退は特別なことなのだと思う。
もう踊り子さんとその作品に出会うことができない。儚くてとても寂しくなることがある。

好きな音楽をCDやレコードやyoutubeで鑑賞できることは幸せなことだ。
音楽は作者から切り離されて、受け手の日常に溶け込んでいる。
今となっては当たり前のことだけど、とても豊かで贅沢なことだとと思った。

呼び起こされた記憶は過去のものだ。
光景は不鮮明で欠損があり整理されている。

感覚は今しか感じることができない。
今のこの気持ちをそのまま明日まで持っていくことはできない。

だからこそ今目の前にあるものに集中することを大切にしたい。


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