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2011/05/08

色褪せた桃色施設を巡る旅 vol.5

山谷の純喫茶エールにて、昨日を想起す。

池袋の小屋にて観劇。
特別な踊り子さんの特別な演目、「梅と鶯」との再会。

梅の木をモチーフにした絢爛な着物での優美な日舞から、
鶯を模した衣装での軽やかな舞につなぐ。

柔和な身体動作、情感のある表情が心のデリケートな部分に触れる。
まるで音楽のフレーズのよう。
身体動作でも、このような感情が去来する。
ストリップにより開拓された僕の感覚の新たな地平。

ストリップは脱衣舞。でも脱ぐ前から勝負は決まっている。
自分にとっての名作は最初の段階から、世界に私を引きずり込む。
音楽と同じなんだ。

AメロBメロときてサビへ。ベットショー。薄い衣装を一枚まとい、
盆やデベソと呼ばれるステージから突き出した領域に寝そべり艶かしく
身体をくねらせる。
そして、クライマックスは、盆における自慰行為。
感情がこぼれおちてくるような名演技。表情、喘ぎ声、音楽と照明が
一体となり、美しいひとつの作品と化す。

以前、かぶりつきで観た時は、その世界が被さってきて、
圧倒され、魅入られた。
何かがこみ上げてきて泣きそうになった。
もはや肉欲など微塵も感じなくて。
情があるエロスは感動するのだ。これもストリップに気づかされた。
生きる行為の最たるものだからかな。

かつてスターと呼ばれた踊り子さんは、オナニーベットに秀でていたらしい。
オナニーベットはストリップの真髄なのかもしれない。

また、かぶりつきで、かぶりついて、その世界をかぶりたい。
でも、かぶりつきは本当に危険。
でも、かぶりつきでないと、もう満足できない。

これで、計6回観たことになる。名作は何度みてもよいものだ。
でも、六感で感じる(嗅覚、味覚、触覚までも!)ストリップは現代の技術では記録できない。
1回のライブで1曲しかやらない。新作も作る。東京の方。多分もう一生観れないだろう。

あんなに観たのに、脳内に残るのはイメージの断片のみ。儚い夢のよう。
音楽だったら何度も聞いて、自分の頭にその世界を構築して脳内で再生できるようにまでなる。
それができないのが哀しい。

旅は終焉に向う。徐々に寂しさがまとわりついてくる。
怒涛の3連ストリップ。ファイナルは渋谷の道頓堀劇場へ。



池袋の小屋を発ち、西荻窪へ。カルロス氏による酒場案内アゲイン。
ありがたい。憧れつづけた中央線沿線。

続々登場する素敵な酒場と魅力的な人物。杯を重ねることに、脳の記録機能が停止していく。
ほとんど何も覚えていない迷惑行為がなかったか不安を覚える。
でも、勝手ながら、楽しい夢のような空気感は残ってる。

いたるところで、ストリップの広報活動をしてたような。
隣の英国人に英国ブリストルのRachael Daddさんの音楽の素晴らしさを、
酔壊れ英会話で力説したような。

以前ストリップ映画特集を企画した映画館で、
頼みこんでそのチラシをいただいた。
これは覚えてる。素敵なスタッフの方、ありがとう。

いずれも、頭で考えてやったことじゃない。
それだけに自分で自分の頭を疑う。
ヒト心、一皮むけば 奥深し。

帰りの電車で脳の機能が復旧し始める。
前にいる兄ちゃん二人と話す。酔人の直感、こいつら話せると。

なんとか宿のある駅にたどり着く。真っ直ぐ歩けない。こすりこすり歩く。
しばらく彷徨いたい気分、飲みの上塗りしたい気分。
ドヤ街の深部まで酒を求め歩く。
でも、店は全閉まり。

ここで、初の職務質問にあう。客観視して、まあ当然か。
酔いとは恐ろしく、お上に緩くだけど絡む。
何でも調べてください。どうぞどうぞ。
免許証見せただけで、僕の何がわかるんですか?

職務質問は誰も幸せにしないのではないかと思った。
コンセプトに賛同できない。

でも末端の組織員に言っても仕方ない。
自分の意識だけじゃないから。組織の意思。
複雑で見えない意思。会社でもそうやし。

宿に戻る途中で酒場の自販機で酒をあおる。
するとドヤ街の軽々しく触れてはならない光景が真横に現れた。
山谷のブルース。
ブルースには詳しくないが、おそらくこれが真のブルースなのだろう。
惹かれるけど話しかける資格は僕にはない。
できるのはただ空気を感じることだけだ。

宿に戻り、数秒でダウン。オーバーオールでご就寝。

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